株式会社 原抜型製作所

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[連載]原式フロンティア・スピリット:第2回

激しくも恵まれた昭和60年代
  支えてくれたのは、仕事の達成感と周囲の助けでした
ハードな日々を支えた仕事の達成感

勤めていた会社をやめて独立してみたものの、一人でやる仕事の忙しさもさることながら、交渉関係の難しさやお客さまの高い要求に応えなければならないというプレッシャーから、なかば折れそうになったこともしばしばありました。また、仕事だけでなく、当時の私は子どもも生まれたばかりで、家長として家族を守る責任が重く肩にのしかかっていました。
毎日、分刻みのスケジュールで仕事をこなし、365日ほとんど休みなく早朝から夜遅くまで働いて、一日の仕事が終わるのは朝の2時か3時。朝は7時頃から出勤する取引先の営業担当さんが連絡してくるので、そのころまでには起きなければなりません。最初に借りた8坪ほどの仕事場兼住居は、大家さんが風呂屋であったため家風呂がついておらず、妻と幼い子どもたちは、夕方になると大家の銭湯に通っていましたが、私はその時間もなくて、仕事の合間の僅かな時間に工場の裏にある水道で汗を流すこともしばしばありました。
夜中の2時頃、仕事を終え、星空を眺めて一息ついてから、「また明日」と寝床に行こうとして、ふとやりかけの仕事を思い出したこともあります。「ちょっと待てよ」と、もう一度仕事場を探してみると、翌日納品しなければならない抜型がまだ手付かずのまま、残っていたりして、ときには徹夜になったこともたびたびありました。当時、私はまだ31歳で、若いとはいえ体力的にはハードな日々でした。しかし、それでも仕事を終えて納品したときの達成感と充実感は大きく、それが当時の私を支えてくれていました。

持ちつ持たれつで仲間同士が助け合っていた昭和60年代

私が会社を設立した1985年ごろは、世の中全体に仕事が溢れていた時代でした。そのおかげで、私は、てんてこ舞いどころの騒ぎではありませんでした。しかし、会社を設立した際の設備投資で、小額ながら親戚から借金もしていましたから、それをできるだけ早く返したいという思いもあり、一方でその忙しさを歓迎していました。
私がお金を借りたのは妻の姉でした。恐縮して頭を下げる私に、義姉は気を使わせまいと思ったのでしょう。「人にお金を貸すときには、返ってこないつもりで貸しているから」といってくれました。しかし、その言葉は、義姉の思いとは裏腹に私の心に突き刺さりました。
また義姉だけでなく、それまで付き合いのあった材料業者の方も「支払いは、ある時払いでいつでもいいから」と機械などを金利なしで提供してくれました。ですから、義姉や仲間に借りたお金をできるだけ早く返したいという思い奮起したことも必死になって働いた理由の一つでした。がんばるだけがんばって、それらの借金を2年余りで全額返済したときに、初めて独り立ちした思いがしたことを今でもよく覚えています。
しかし、こういう関係は当社だけではありません。当時は、業界全体が、みなそれぞれに助けあって仕事をしていましたから、会社が潰れるということはがほとんどありませんでした。昭和60年代のあの時代は、競争も激しくてたいへんでしたが、それ以上に恵まれていた時代だったといえます。

原抜型製作所について

事業紹介
原抜型製作所では、ピナクル、彫刻、金型などの技術を向上させながら、お客様のご要望に応える抜型設計の品質向上と生産性向上を目指しています。

過去の実績
電子機器やカメラなどの精密機器から、通信機器、大手電気メーカー製品までさまざまな原抜型製作所の実績をご紹介します。

原式フロンティア・スピリット
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